かつてのプロレスといえば、
反則をする外人レスラーを日本人レスラーが迎え撃つ、
そういう試合が定番だった……。
1974年ストロング小林を退けたアントニオ猪木。
次の相手は?
かつての兄弟子・原爆頭突きの大木金太郎!
……ということで、こんにちは!
ヒロシさんです。
「ゆるゆる投資ログPlus」へようこそ!
今では普通に行われる大物日本人同士の試合。
その走りが、古くは力道山対木村政彦、
そしてアントニオ猪木対ストロング小林、
同じく対大木金太郎でありました。
今回は、蔵前国技館で行われたアントニオ猪木対大木金太郎の一戦を紹介。
頭突きのダメージにより、割れた猪木の額。
それでも、「もっと打ってこい!」と挑発する猪木!
アントニオ猪木対大木金太郎!
蔵前国技館
アントニオ猪木対大木金太郎:試合展開
昭和49年10月10日に東京は蔵前国技館で行われた試合。
アントニオ猪木対大木金太郎!
猪木のナックルパートで幕が開く。
クライマックスは、
大木の頭突きを10数発以上耐える猪木。
額から流血しながら、
「もっと打ってこい!」と大木を挑発!
尋常ではない猪木の目!
大木の頭突きを、またもナックルパートで返す!
大木が倒れる。
大歓声!
バックドロップでフォール!
猪木の完勝。
大ざっぱに言うと、こんな流れ。
試合後は、両者とも涙を流して抱き合うシーンが印象に残る。
ドラマチックで感動的だった。
猪木対大木!実現までの経緯
アントニオ猪木のケンカマッチとして、
強烈な印象を残した試合。
それが、昭和49年10月に蔵前で行われた猪木・大木戦です。
同年3月、S小林の挑戦を受けた猪木は、
ものすごい試合を見せてくれた。
力道山-木村戦から20年ぶりの
日本人メインエベンター(当時はこう言った)による決戦!
この猪木・小林戦を注目していた大木、その熱い思い。
昭和46年に猪木、47年に馬場、48年に坂口、が離脱した日本プロレス……。
昭和48年4月に崩壊してしまった老舗日本プロレス。
その日プロに最後まで残っていた大木……。
不本意ながら昭和48年5月からは、
外様として馬場の前座で、
全日本プロレスで戦っていた……。
猪木・小林戦が大反響を呼ぶ。
大木は、「勝者はオレと戦え!」と挑戦状をたたきつけた。
日本プロレスの三羽烏
全日本のエース、ジャイアント馬場。
新日本のエース、アントニオ猪木。
そして、大木金太郎。
かつて日本プロレスの三羽烏と言われた三人……。
もう大木はガマンができなかった。
猪木は挑戦を受けた。
昭和35年のデビュー戦では、
頭突きの連打から大木に惨敗した猪木……。
相手が大木だからこそ燃えた猪木!
試合後が終わって涙を流し抱き合った両者、
その胸中に去来した思いはどんなだったろう……?
◆
いかがでしょう?
こんな試合見たことありますか?
今回はここまでです。
きみは猪木と大木の涙を見たか!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた〜。